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新暦1020年・・・その白い建物の良く整備された通路内を、二人の若者が胸を張って歩いていた。 一人はスコット、もう一人はヒューという。 彼ら二人はついさっき、この時空管理局の訓練生課程を終え、正規のタイム・パトロールの資格を与えられたのだ。 「ふー、やっと終わった終わった。」 ヒューが嬉しそうにそう言うと、スコットはやや神経質そうに首を振った。 「気は抜けないよ。これからすぐに実習に入るんだぞ。」 ヒューの方はそばかすの散った鼻の辺りを人差し指でこすり、鷹揚な表情で同僚の背を叩いた。 「しけた面をするなよ。給料だって出るんだし。スコットはどこに行くんだ？僕はゴンドワナ大陸南部二週間の予定で植生調査だ。」 スコットはため息をつく。 「僕はゴンドワナ東部で恐竜の生態調査だと。・・・中央司令室は僕に恨みでもあるのかな。勤務開始そうそうティラノザウルスに食われたくないよ。」 ヒューは笑った。それから成績の優秀なスコットに対するやっかみ半分で言った。 「お前は親子二代にわたるパトロールの家系だからな。上も相当期待しているってことさ。」 二人はメディカルルームの前を通った。すると、その扉から青白い顔をした男が一人幽霊のようにふらふらと出てきた。 二人はその姿を見送った。 「20世紀担当だったかな、あの人は。」 スコットは頷き、ぼそり呟いた。 「ああはなりたくない・・・・」 タイム・パトロールは、社会的地位も高く、世間の信頼も厚かったが、人類出現以前の時代にしかトラベルしない駆け出しのパトロール員はともかく、殆どのパトロール員は精神的苦痛に悩まされていた。 それは、タイム・パトロール規約第一条による。 すなわち、 いかなる事情があろうと、時代改変を行ってはならない。 という条文である。 どんな状況下でも、使命以外のことには目を瞑らねばならないのだ。たとえ、アウシュビッツの悲劇を目前にしても心動かされるようでは失格なのだ。 そのためか、訓練生過程を終えても、実にその70％が５年以内に辞職している。最終的に職場に残るのは世捨て人のような人間が多く、局はそのことを、大きな問題としていた。 スコットの父は優秀なパトロール員であり、尚かつ、仲間の人望も高かった。現在は時間犯罪人（タイムクリミナル）を追跡中に負った傷のため、事務職に回っている。 父は息子が自分と同じ職につくことに猛反対していたが、今ではしぶしぶながら認めている。 スコットの唯一の心配は母だった。青年期に光を失い、夫の仕事にはらはらさせられ、今度は息子のことを気に病む盲目の母。 その母ジョアナのためにも、今度の実習でしくじるわけにはいかない。スコットは恐竜の餌になるため７年間の訓練に耐えたわけではない。 ヒューの甲高い声でスコットは我に返った。 「まあ、新暦中にトラベルするのも面白そうだけどな。」 「おいおい、ヒュー、恐ろしいことを言うなよ。」 現在のところ、局が乗り出している仕事は２つだけである。タイムクリミナルの追跡と、彼らによって成された時代改変の修正。それ以外は“現在”に影響が出ぬよう、新暦での活動は成されていない。 スコットがゴンドワナ大陸で小石を蹴飛ばしても“現在”に殆ど影響は出ない。いわゆる“時間の自然修復力”が働くからだ。しかし、現在に近い時間では・・・・・・３年前の人間消失事件を例に出すまでもない。 物理的にも、現在に近い時代へのトラベルは難しい。「今」を脱するのには非常に大きな時空的加速が必要になる。制動をすぐにかけなければ太古へと行ってしまう。かといって、早くかけすぎれば加速と相殺し、時空の静止域を永遠にさまようことになる。 で、あるから、新暦トラベルは、ベテランの局員と各時代の駐在員とにしか許されていないのである。 スコットはその夜、卒業休暇で自宅へと帰った。実に３ヶ月ぶりの帰宅だ。同じエリア内にいてもめったに出会うことのない父は、ソファーにかけて新聞を読んでいたが、一人息子の姿を認めると、不自由な足をひきずりながら歩いてきてしっかりと抱擁した。母はゆっくりとやってきた。背の高いスコットは中腰に屈んだ。彼女の手は彼の顔を優しく撫で、安堵の息をもらさせた。 「おかえりなさい、スコット。」 心づくしの夕食のあと、スコットは、少年の頃によくそうしたようにソファーの上に仰向けに寝転んだ。テーブルの上に、スケッチブックがあり、彼は何となくそれを手にとった。 傍らに座って編み物をしていたジョアナはその音を聞き逃さなかった。 「スコット、母さんのスケッチブックをいたずらしないでね。」 スコットはぴくりとして、丁寧に表紙をめくって何が描いてあるのか覗いた。 それは貼り絵らしかったが色とりどりの布の並びは何を表しているのかわからなかった。ページをめくる音がした。 「見ているの？それは目の見えない子達のための絵本ですよ。一番初めのページはライオンだったかしら。」 スコットは目を閉じて、はじめのページに触れた。 確かにライオンだ。 しかし、目を開けると、ライオンの姿は消え、無意味な布片に戻った。 「お前は何か新しいものがあるとすぐにいたずらするんだから・・・・そんな、いたずらさんがパトロールになっちゃうなんて・・・・」 父親がジョアナの肩を抱いた。 母は見えぬ目から流れた涙をすぐ拭い、微笑んだ。 「もうひくにひけないものね。スコット、頑張りなさい。ゴンドワナの恐竜ですって？あなた、もう年頃なんだから、特にメスの恐竜には気をつけるのよ。もっともパトロール員なんかに恋をしたら恐竜の方に同情するけど。」 「おいおい、お前。」 「母さんッ！」 父親とスコットは二人揃って抗議の声をあげた。ジョアナは夫の肩に頭をもたせ掛けた。 「冗談よ。こんなにいい旦那様と立派な息子がいて、不幸な訳がないじゃない。ね、スコット？」 スコットは母親の手をとってそっと頬擦りした。 その３日後、スコットは実習に出発した。 現地で仲間が待っているということで、一人だけでの出発だった。 「チェック願います。」 整備士がコクピットのスクリーン上から答える。 「オールグリーン。」 スコットはシートに体を固定し、時間と空間座標をセットし確認する。 彼はレバーに手を掛けた。 「実習生№５、スタートします。」 レバーを引く。 大きな力が・・・・・物理的なものだけではない力が骨の一本一本にまでかかっているのがわかる。頭の中に閃光が閃き、そのあとすぐに黒い幕が下りる。そしてまた閃光！・・・・訓練中に体験したこととはいえ、これは辛い。このあと、ゴンドワナに近づいて制動がかかるまでの間、少しは楽になるはずだった・・・・しかし、それを裏切るように耐え切れないほどの大きな制動が彼を襲った。 （マシントラブル？） そう思った次の瞬間、彼の意識は途切れた。 彼が意識を取り戻したとき、あたりは静まっていた。 ずきずき痛む頭で、タイムマシンの船外モニタのスイッチを入れたがスクリーンには何も映らなかった。止む無くそろそろとドアロックを開けると一面の緑色が目に飛び込んできた。マシンは茂みの中に転がっているらしい。スコットは一枚の葉を手に取った。 （少なくともゴンドワナでないことは確かだな。） 小鳥が飛んでいた。それも太古の鳥ではなく、スコットのよく知っている鳥だった。 （時間ではなく空間転移だけしたのだろうか。） それならばそれでよかった。いや、それが一番望ましいなりゆきだ。 彼はマシンをカモフラージュするために木の枝を切って積み上げた。本来“場（フィールド）”をつくればよいことだが、動力系の損傷したマシンでは、太陽電池を満タンにするまでは余計なエネルギーを使いたくなかった。通信機も壊れている今、とにかく自分の置かれている状況を調査するしかない。空間転移だけならば、悩む必要はないのだ。 彼は慎重に歩いた。もしも「今」に近い時代なら、小さな行為が大きな時代改変につながる恐れがある。 しばらく歩いて、彼は自分がいる森がかなり大きなものであることを知った。これからどうしようかと、彼がちょっとした斜面の下で一息ついているととんでもないものが頭上から降ってきた。 「あ～っ！」 それは一人の女の子だった。茶色の髪の毛をポニーテールに結んだ、紛れもない人間の女の子が落ちてきたのだ。スコットは思わず抱きとめ・・・・ようとしてやめた。まだ、ここがいつなのかわからないうちは危険な行為だ。 女の子は頭から倒れこんだが、すぐに起き上がった。 「ご、ごめんなさい。あたし、あっちで絵を描いていたんですけど、リスが出てきて、それが珍しいリスだったもんで、追っかけてきたら、いきなり坂になっていて・・・・。」 スコットは葉だの土だのがついた女の子の服を手ではらってやった。ジーンズにジャンパーという動きやすい服装の彼女は、女の子というよりはもっと上の年齢のようだった。彼はゆっくりと尋ねた。 「ねえ、君、今は何年かな。」 娘はきょとんとした。 「何年・・・・って20年じゃないですか？それが？」 スコットは胸を撫で下ろした。時間転移はしていない。 「いや、ちょっと度忘れしてね。・・・・・で、ここはどこ？」 またもや娘はきょとんとした。 「グリュネバルトの森でしょう？変なことを聞くんですね。」 グリュネバルト・・・・聞かない名前だ。 「失礼、僕は時空管理局の者なんです。すぐに連絡をとらなくてはいけないのですが、通信手段がある場所を教えてくれませんか。」 娘は頷いた。 「ここからだと、私の家が一番近いですよ。案内しますよ。荷物を途中で回収していいですよね。」 スコットは娘のあとについて、彼女が画架を立てていた場所へ来た。キャンバスには森の風景が描かれていた。 気持ちの良い絵だと彼は思った。 「うまいね。」 娘は舌を出した。 「まだまだ。下手の横好き。私、自然の色が好きなの。それをそのままキャンパスに写したいんだけど、全然うまくいかないんです・・・・一生続けたとしてもダメかなって・・・・」 二人は歩き続けた。道は遠く、スコットは画架をもってやった。 娘はおしゃべり好きできさくにスコットに話しかけ、スコットも会話を楽しんだ。 小川まで来て二人は休憩した。 「君は・・・・えーと、なんという名前？」 女の子は笑った。 「カーラって読んでください。」 「カーラはすごいね。こんな山の中に一人で絵をかきにくるなんて。そして、初めてあった僕とこうやって話して。」 「あそこの森の色が特に気に入ってるんです。どうしてもあそこで描きたくて。・・・ええと、後のほうの質問は、あなたが、ええと、なんてお名前でしたっけ？」 今度はスコットが笑った。 「スコットだよ。」 「・・・スコットさんが危険な人には見えなかったから。なんかぼーっとして考え込んでいて・・・・悩みがあるのかな、なんて考えちゃって。」 「おや、見くびられたね。・・・・気をつけなきゃ。見た目と中身が違うことだってあるんだから。」 カーラはまあ、という顔をしたあと、 「そうしたら、絵筆で目潰し攻撃ですね。」 と言った。 「それが効かなかったら？」 「絵の具箱ぶつけます。」 「それでもだめだったら。」 「画架ぶつけます。」 「それでもだめだったら。」 「う～ん。噛み付く。」 二人は声をたてて笑った。 歩きつかれたころに町へ着いた。スコットの予想よりは大きな町で、道にはエアカーが行きかっている。と、一人の青年がこちら目掛けて走ってきた。 「姉さん！」 「あら、ウォルフ！」 青年は近くで止まるとスコットに会釈した。 「え・・・・っと僕はウォルフといいます。姉さんの・・・・お友達っていうか、あの・・・・・」 カーラは弟を小突いた。 「こちらは森で会ったスコットさん。会社に連絡取りたいんだって。」 三人は並んで歩いていった。 「姉さん。父さんやっぱり許さないってよ。今日も森に行ったってわかったら物凄い剣幕でさ、」 カーラは鼻をならした。 「父さんに邪魔させないわ。大学の美術コースに行くのには賛成したくせに、商売にならない油絵なんかやめて工業デザイナーになれ、なんて。」 彼女の家はすぐそこにあり、チャイムをならすと即座に父親が出てきた。 「また森にいっていたな！親の言うことが聞けないのか！」 ウォルフが叫んだ。 「父さん。他人の前でやめてよ。僕の知り合いのスコットさんだよ。会社に連絡とりたいんだって。」 そのとき、スコットは凍りついたように動けなくなっていた。壁に掛けられたカレンダー、それはたしかに20年のものだった。 “州暦”20年 その横に新暦９９３年と印刷してあった。 父親は声を落とした。 「これはどうも・・・・しかし、いいか、ジョアナ。」 スコットはカーラの顔を見た。 （ジョアナ・・・・！） それは彼の母の名である。そして、年齢的にもぴったりと符合する。スコットの頭の中がぐるぐると回り始めた。・・・・そういえば、若くして亡くなったウォルフ伯父さんという人がいたと聞いたことがある。母の実家は大きな森のすぐ近くではなかったか？ 彼は倒れそうになるのを堪えた。何故？この娘が母だとすると、なぜカーラなどと名乗ったのだ？ 「君、端末はリビングにある。ウォルフ、案内してさしあげなさい。」 玄関先で口論を続ける父娘を残し、スコットはリビングへと通された。 「はずかしいところをみせちゃいました。ごめんなさい。父さんは頑固だし、姉さんも絵のことにかけては負けず劣らず頑固だから。」 ウォルフは笑ってテレビ電話を指し、自分は席を外した。 スコットはサイドテーブルに置いてあったテレフォン№メモリーを操作したが、時空管理局のナンバーは見当たらなかった。彼は一つの単純な番号を押した。 画面に灰色のスーツを着た一人の男の姿が浮かんだ。 「・・・・午後４時までのニュースをお伝えします。先日から開かれていた議会で、政府は994年から998年の向こう四年間の経済政策を討議し・・・・ 間違いない。ここは993年なのだ。 そのあと、自分が何をしたのか細かくは覚えていない。ウォルフとカーラ（ジョアナ？）とその父親に礼をいい、逃げるようにして森に戻った。頭がはっきりしたのはシートに頭をもたせかけてからたっぷり30分以上もたったと思われたころだった。 初めに襲ってきたのは恐怖だった。自分の「今」のわずか27年前だ。自分のしたことが時代改変に繋がらないか彼は検討した。さしてひどいことはしていないようだった。カーラ、ウォルフ、父親に対して、記憶消去ガスを使えば済む。記憶消去ガスとは特殊な気体で、それを嗅いだ者は不思議にも時空を異にした者の存在のみを記憶から消去することができる。 彼は必死に通信機を修理した。機体の破損は修理不能だったがこちらはなんとかなりそうだった。 たっぷり三時間格闘した後、通信スクリーンが復活した。時空波による画像が・・・・懐かしい時空管理局のオペレーターの制服が目にとびこんでくる。 「実習№５、スコット、無事か？」 スコットは現在の自分が置かれている状況、マシンの破損状況などを報告した。そして、すがるような目で画面の向こうを凝視した。画面が切り替わり、司令官の顔が写った。 「よろしい。トラブルの状況はこちらの解析の通りだ。993年グリュネバルト・・・・・２日後に迎えの者を送る。すまないが、マシン調整のことを考えるとそれ以前には無理だ。君の技術では2000年以内のタイムリープは危険すぎる。例えマシンを修理できたとしても試みないように。ところでスコット、時代改変を行うような行動はなかっただろうか。」 スコットは自分の行動を思い出せる限り詳しく伝えた。 オペレーターが解析し、結果を指令に渡したのが見えた。 「スコット。残念だが、記憶消去ガスだけではダメなようだ。」 「？指令、しかし、接触したのは三人だけです。大きなことは何も・・・・」 「・・・・・小さな事でも改変は起こる。・・・・まずは絵だ。君は絵が描きかけのところで娘に出会った。もしかしたら、完成するはずのものだったのかもしれない。当然絵を仕上げに娘は森にまた出かけるだろう。本来は出かけなかったかもしれないのに、だ。いいか、スコット。娘とその弟の行動を掴んでいろ。君の周りから離れさせず、最悪の事態になったら君が時間修正をするのだ。」 スコットは混乱した。定石では人間を遠ざけろというのに、指令は二人を自分のまわりから離すな、という。 「指令、おっしゃる意味を掴みかねますが。」 指令は静かに言った。 「もしも、その娘が君の母親で、弟が君の伯父であるなら・・・二日後に、交通事故で彼は死に、彼女は脳を損傷して盲目になる。君が二人を事故現場に居合わせるように誘導するのだ。」 |
「いわゆるSF同人誌」５号初出
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